2016年もあと少しで終わりです。
本年も格別のご愛顧を賜わり
厚くお礼申し上げます。
来年も従業員一同、お客様にご満足いただける
技術サービスを心がける所存です。
来年も、本年同様のご愛顧を
よろしくお願い申し上げます。
皆様にとって2017年が、素晴らしい年になりますようにお祈り申し上げます。
代表取締役 濱村雅哉
2016年12月31日 大晦日 市原市の夕暮れ
今日12/28は、「餅つき大会」を開催中です。
当社が開催するイベントのうち、年内最後のものとなります。
来賓は、取引先、従業員、友人知人を含め100名程度にのぼります。
今年は社長の娘さんのご友人が中国の四川から参加してくださり 、グローバルで華やかな雰囲気になっています。
参加時間は朝の8時から夕方5時頃までの間で、冬季休暇に入っている方は早い時間から、今日が仕事納めの方は終わったその足でかけつけてくださる方など様々です。
会場を訪ねてくださった方には、軽食と飲み物をご用意しています。
そして、つきあがったお餅を小さい丸餅に仕上げる作業を実際に体感していただきます。
参加くださる方は、お子様連れの方も多く、大人も子供もみんなで一生懸命お餅つくりをやってます。
お餅を丸める作業を見よう見まねでやってる子供は微笑ましく、年配の方々が子供達にもちつくりを教えてあげている姿にも心が和みます。
そして自分で作ったつきたてのおもちを、きな粉、あんこ、ぜんざいなどいろんな味わいで楽しみます。帰りにパックしたお餅を好きなだけお土産に持って帰って頂く楽しいイベントになっています。
ところでこの餅つき大会 。
当日は8時前にスタッフが10名程度集合し、本番を迎えるのですが、実は前日から準備をすすめています。
前日にすることは、
・もち米の玄米を70kg精米する。
・餅つき機等の機材の設営。(年に一度しか使わない)
・36cmの業務用ボール20個分のもち米を洗って水にさらす。
・消耗品の補充、餅とり粉、あんこ、きなこなどの食材の買い出し。
そして2日目に本番を迎え、翌日かたづけるので3日がかり。当社のイベントで年末最後にして最大の規模なのです。
傾向として、当社のイベントはエスカレートする傾向にあり、今年は餅米の玄米を70kg(も)用意しているんです。
始めた当初は、確か30kgだったような気が。。(笑)
毎回イベントの振り返りを真面目にやるのが当社の社風で、
毎年決まって社長が、「もち足りんかったのー」で締めくくるので年々分量が増加してしまうわけなのです。(笑)
この餅つきも始めてから10年近く経ち、クリスマスパーティー同様、スタッフの動きもこなれてきて、ほぼオートマチック。
絶妙なフォーメーションでスタッフが動いている 笑
イベントを仕事の時間外に一生懸命やることができる原動力は、
来てくれる人の笑顔なのです。
みなさんの笑顔を思い浮かべながら 準備をすすめる。
仕事が終わることはもちろんだけど、この餅つき大会が終わらないと歳が越せないんですよね。
今年もみなさまの笑顔を見ながら新年を迎えられることが従業員一同の喜びです。
今年も一年間お世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。
従業員代表:山内
2016年12月17日大阪に行き、当社が株式を保有している会社の株主総会に出席してきました。
当社がこの会社の株式を取得した経緯は省きますが、この会社は長年勤めていた会社に、業績不振の責任を負わされて去ることになった、6名のサラリーマンが設立した会社です。
私も、その当時この人達と同じ会社に勤めていましたが、この人達が解雇された一年後に希望退職募集という名のもとに行われたリストラによって45歳を以って会社を去ることになりました。
6名のメンバーは大阪の地で歯を食いしばって頑張り、16年後の今日では社員も設立当初より遥かに多くなり、設立時の経緯を知らずに入社してくる社員が多数を占めるようになっています。現在設立当初のメンバーは全て一線を退き、顧問や非常勤役員として会社を見守る立場となっています。
私自身はリストラされた直後、長年生活していた関西を離れ、千葉を新天地とし会社を設立しました。
何故千葉なのかというのは、このブログの主旨ではありませんので省きますが、いつか機会があればお話ししたいと思います。
株主総会の後に行われる忘年会に、現社長より是非とも出席していただきたいとの有難いお言葉をかけていただいたので、喜んで忘年会に出席しました。
忘年会の席上、現社長より今日はサプライズがありますとアナウンスがあり、私に一冊の本が渡されました。
その本は、設立メンバーの一人であり、初代社長を務められたO氏のご家族が自費出版された本でした。
私のサラリーマン時代の上司であったO氏は、数年前に代表取締役を退き非常勤顧問として、経営には直接関与しない立場となられた後、昨年病魔に襲われ闘病の甲斐なく残念ながらこの世を去られました。
O氏は51歳で会社より解雇されましたが、その一年後に自身を社長として6名で会社を設立されました。そのO氏は友人である大阪山岳会の会長に誘われ、リストラされた直後にヒマラヤ山脈にあるパルチャモという6180mの高さを誇る山に登山をされました。
その時の記録や気付き、自身の思いを綴った文をパソコンに残されていたようで、いつ頃ご家族の方がこのような文が、パソコン上に残されていたことに気付かれたのかは存じませんが、その文をご家族で編集され、自費出版の形でO氏の死後100冊作られたことを最近になって知りました。
その内の一冊が今回忘年会の席上で、サプライズプレゼントという形で私に手渡されました。
何故私なのかは推測でしかありませんが、数年前からO氏を含め私の人生の師匠とも呼べる人たちと、東北の温泉巡りをするようになりました。それまでは私自身も含め会社の経営に全力であったために温泉巡りどころの話ではありませんでした。
サラリーマン時代の上司であったO氏は、常に物事に動じることなくどんなピンチでも沈着冷静で、小さなことに拘らない大きい心の持ち主でした。関西支社長まで上り詰めた後、業績不振の責任を負わされ会社から解雇を告げられた時も、自ら全ての責任を一身に受けて退社されました。私はO氏の生き様を真似をしようとしたこともありましたが、あまりにも人物が大きすぎて、私にはとても真似できるような人物ではありませんでした。
以前のブログにもこの方の事をちょっと書きましたが、実に惜しい方が昨年この世を去りました。
私がO氏を尊敬していたことを、この会社のメンバーが知っていたことが、この本をいただくことになった最大の理由のようです。
私が会社を興して悪戦苦闘している時に、わざわざ当社を訪ねて励ましてもらった時の写真と、何年か経った後に箱根へ二人で旅行した時の写真が、旧事務所から新事務所へ移っても、ずっと私の机の横に飾ってあります。
そして今回、この本をいただいた時の写真と、今日この本を横に置いた写真を撮りブログにアップしました。
今その本を読みだしていますが、本書を私がいただくことに快く同意していただいたご家族に心より感謝を申し上げますと共にO氏のご家族のご多幸とご健勝をお祈りいたします。また、本を渡す手配をしてくれた現社長をはじめ同社関係者、そしてこの発議をしてくれたN氏と、この経緯を私に詳しく説明していただいたF氏に深甚なる謝意を表します。